なぜ、ガリレオ・ガリレイだけが宗教裁判にかけられたのでしょうか?
その背景にはガリレオとキリスト教の個人的な政治事情が複雑に絡んでおり、キリスト教の総意として宗教裁判が行われたわけではありませんでした。
ガリレオの宗教裁判は2回行われています。
第一回目では地動説を唱えるガリレオに有罪判決が下りますが、とくに刑罰があったわけではなく、地動説はあくまで仮説であり、絶対的真理ではないと注釈をつけることが求められ、この条件さえクリアすれば研究を続けてもよい、という緩やかな判決でした。
しかしガリレオは有罪判決を受けながらもローマ教皇ウルバヌス8世の賛同を得たとして「天文対話」を発刊します。
一応、文末には第三者として道化を登場させ、仮説であることを付帯させているにも関わらず、ウルバヌス8世は扱いが小さいと激怒、ガリレオに2度目の宗教裁判を行います。
ここで話はややこしくなり、1度目の裁判でガリレオは地動説が仮説であるという書面にサインした、しないという問題やガリレオは文中でウルバヌス8世を冒涜している文章を書いている、などと吹き込む輩の登場などで結局は有罪となり、地動説を放棄する異端絶縁文を読み上げることになりました。
かといってガリレオは監禁されたわけではなく、監視付きの邸宅で軟禁されただけに過ぎず、その邸宅では弟子たちと研究を続けられたほど緩やかな刑で、ガリレオがカトリック教会に徹底反抗し、刑罰を与えられながらも「それでも(地球は)動いている」というヒロイックなエピソードは近年の創作と言われています。