科学者であり、占星術師であり、そして熱心なキリスト教信者であったコペルニクスとケプラーによって天動説が地動説に覆されたのは歴史のアイロニーと言うしかありませんが、この地動説を揺るぎない存在としたのがイタリアのガリレオ・ガリレイです。
彼は哲学者であり、物理学者であり、天文学者であり、熱心なカトリック信者でしたが占星術師ではありませんでした。
ガリレオもケプラー同様、コペルニクスの地動説を擁護していましたが惑星の円周期という固定観念から抜け出せなかったために研究が停滞していました。
しかしケプラーが惑星の運行法則を発見したことにより、ケプラーに支持の書簡を送るなど自らの研究に拍車をかけます。
ガリレオの研究が進歩したのは望遠鏡の多用でした。
それまで天文観測は肉眼に頼っていましたが、1608年にネーデルランド連邦共和国(現在のオランダ)で望遠鏡に関する発明特許が発表されると翌年には自ら10倍率の望遠鏡を製作、さらに精度を上げ、最終的には20倍率の望遠鏡を製作しました。
この望遠鏡で最初に月の凹凸(現在のクレーター)を発見、さらに木星に3つの衛星があること、金星が月のように満ち欠けし、見た目の大きさも変わることなども発見し、これらのどれもが地動説を裏付ける証拠となりました。
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