地動説を唱えたニクラウス・コペルニクスは天文学者や医者などの肩書の他に占星術師としても活躍していました。
その彼が地動説を発見したのは占星術を極めるために天文観測を突き進めた結果と言えます。
前項では天文学と深い関わりのある暦について触れました。
当時、使われていたユリウス暦は1年を365.25日と定めて4年に1回、閏年を設けていました。
しかし実際の太陽暦はユリウス暦よりもやや短く、現在のグレゴリオ暦では365.2425日とされています。
紀元前45年としては365.25日という太陽周期はかなり高い精度であったことは間違いありませんが、ヨーロッパはキリスト教が広まると同時に文化や学問が停滞する1000年の暗黒時代に突入、天文学もそれだけの時を経ているのでわずか0.75日の違いが暦上の蓄積となって天文学に大きな影響を及ぼします。
16世紀、コペルニクスが天文学を学んでいた時代、太陽の春分点通過日はユリウス暦の3月21日でしたが、ユリウス暦全体の平均値を求めると3月11日となり、10日以上の誤差が生まれていたのです。
コペルニクスはこの誤差に着目、太陽を中心に地球が公転していると計算したところ、1年の長さが365.2425日であることが判明、そこから地動説が生まれました。