12世紀ルネッサンスによってヨーロッパの舞台に再登場した占星術は、キリスト教から一部容認というお墨付きを与えられたことにより、17世紀までアカデミックな存在として広く認知されました。
アカデミックな存在に高めたのは占星術師単独の存在ではなく、当時の最高学問であった科学者や哲学者が天文学と占星術を結びつけ、自ら占星術師と名乗ったことが大きな要因です。
たとえばニクラウス・コペルニクス。
ポーランド出身の天文学者であり、当時の天文学では常識とされていた地動説を覆し、天動説を唱えた学者として後世に名を残しましたが、彼は学者であると同時にキリスト教のカトリック司祭であり、また占星術師でもありました。
カトリック司祭と占星術師は背反するように思えますが、コペルニクスは医学も学んでおり、当時、医療にも占星術が関連していたことから占星術を学び、術師になったと言われています。
コペルニクスが地動説を唱えるようになったのは占星術をさらに詳しく調べた結果です。
当時、1年の長さはユリウス暦が使われていました。
紀元前45年、ユリウス・カエサルによって制定された太陽暦ですね。
ユリウス暦は1年の平均日数を365.25日と定め、4年に1回、閏年を設けることによって暦上の調節を行ってきました。
これでは現在の暦と変わらないのでは?と思う人もいるでしょう。
ではユリウス暦と現在のグレゴリオ暦の違い、次項で説明しますね。