古代バビロニアで見つかった粘土板にはすでに天文観察の記述がありました。
もっとも7,000枚のうちの70枚ですから、天文観察による占星術が主というわけではなく、森羅万象すべてが予兆(オーメン)を表していて、その中には自然現象や動物たちの集団行動観察なども含まれています。
とはいえ、現在の星座の基本となる黄道(空を球体と見た時の太陽の通る道筋)を発見、さらに黄道から星々の位置を定めて18区分、星々の動きから占星術を行っていたのは当時の文化の高さを示すものです。
この古代バビロニアで成形された18区分が後の12星座につながり、ホロスコープの基礎的役割を果たしたとされています。
その後、バビロニアはアッシリアに滅ぼされ、アッシリアはペルシャ帝国に支配され、さらにペルシャ帝国はギリシャのアレクサンドロス3世、いわゆるアレクサンダー大王に滅ばされるわけですが、その間も天文観察による占星術は脈々と受け継がれ、アレクサンダー大王がエジプトのファラオ(王)となるとヘレニズム文化が隆盛、ギリシャの哲学が加わり、現在の占星術の基礎が生まれました。
この頃から、占星術は国家の命運を握るだけでなく一般の人々の中に浸透し、運勢を占うようになりました。