甲戌は、木性の陽干「甲(きのえ)」と、「戌(いぬ)」という十二支が合わさって成立している干支です。
干支番号は11番、甲は樹木で、戌は秋と冬の架け橋となる土性の干支です。
この干支を説明するに当たって、まず先に説明しておくべきことがあります。
この「甲戌」という干支と、次に出てくる「乙亥」という二つの干支は、算命学の六十花甲子において、「日座中殺」と呼ばれる特殊な干支にあたります。
通常、十干は「甲、乙、丙・・・」と続いて「・・・壬、癸」まできて一回りします。
しかし十二支はご覧のとおり12通りの種類があり、最後の戌と亥だけが一巡目の十干から外れてしまうことになります。
そこで生まれたのが、「日座中殺」という二つの干支。
はみ出た「戌」に二順目の「甲」が合わさり、「亥」には「乙」が合わさります。
では、日座中殺とは一体どのようなことになるのか・・・というところが気になってきますが、そもそもみなさんは「天中殺」という言葉をご存知でしょうか?
80年代初頭に流行った算命学の専門用語ですが、当初から現代に受け継がれてきた「恐ろしいイメージ」は、実はちょっとだけ間違いです。
誰にでも一定の法則に従って導き出された12年間の間に、2年間の天中殺期間を経験することになります。
この間は、行動した結果などに枠がなくなってしまう⇒通常であれば選択しないことも選択しやすくなる、成功もしやすいけれど、代わりにこの時期に得た結果は失われやすい、無論判断力が問われる時期なので失敗もしやすい、場合によっては怪我などもしやすい・・・。
これは今までの行き方、物の考え方を問われる2年間ということです。
必ずしも災いが起こるとは限らないけれど、これまでイタズラに自分の意思を通し生きてきた・・・様々なケースと可能性がありますが、自分の生き方に修正するべき事実がある場合には、何らかの形となって降りかかってきます。
ですので、何か困ったことになったらそこがチャンス。
改まって立ち止まり、己の心や行動と向き合うことで、天中殺が明けてからの生き方に大いに反映することが出来るのです。
また、普段から自分の役割をしっかりとこなしてきた人は大きな失敗を経験することも少ないですし、今まで道ならぬことを続けてきた人は欠点が現れやすい2年間となるでしょう。
いずれにしても、天中殺は不幸が舞い降りる年、という凝り固まった認識が、算命学の素晴らしさ、そして人々の成長の可能性を、小さな箱に閉じ込めることとなってしまっているのです。
そして、肝心の日座中殺ですが、この二つの干支は「天中殺の現象が一生涯続く」といわれている特殊な干支です。
しかし最初にお話した「天中殺は恐ろしい」の原理には当てはめないで下さい。
既存の体制を打ち破り、無限の世界で生きる干支です。
何か間違っているところがあれば修正し、そしてまた新たなものを生み出していくことの出来る、多才で大きな可能性を秘めた干支。
しかし、完全の美を生み出すということが難しく、作っては壊れ、作っては破りといったようなことが一生を通して繰り返されるという傾向があります。
しかしその中で精神を高め、欲得に関係なく動くことが出来るようになれば、この人の才能はより研ぎ澄まされることでしょう。
甲戌の生まれの人は、人に従って生きるというよりは、自らが仕掛け人となって社会で活躍する人が多いです。
理知的で合理性の高い思考能力は集団の中では埋もれ、集団から離れることによりスムーズに磨かれるようになります。
仕事面では独立するか、もしくは自分が指揮を取れるような立場に着くことで働きやすくなります。
とはいえ木性(甲、乙)の人は義理人情に厚いので、必然的に人間関係には恵まれるでしょう。
身内思いですが、日座中殺の人は早くに親元から離れないと、自分を犠牲にして兄弟両親に尽くしてしまうという可能性を持っています。
優しい人なのですね。
いくつになっても「可能性を追う」ということを忘れないで欲しい干支。
甲戌の人は「離郷」と「独立」が、ドラマティックな人生へのキーワードです。