干支は十干十二支から成り立っており、その十干は古く堯の時代の神話が元になっています。
では十二支はどうでしょう?
こちらはずっと天文学的で、木星を基準に作られました。
時代は殷から周の春秋、さらに戦国時時代まで進みます。
この頃になると天文学も発達してきて、夜空に輝く一際大きな星、木星が天球を1周するのに12年かかることを発見しました。
そこで木星を歳星と呼び、十二次に分けてそれぞれの位置で年号を表す記述に使われたのです。 続きを読む 十二支が決められたのは木星の軌道
干支は十干十二支から成り立っており、その十干は古く堯の時代の神話が元になっています。
では十二支はどうでしょう?
こちらはずっと天文学的で、木星を基準に作られました。
時代は殷から周の春秋、さらに戦国時時代まで進みます。
この頃になると天文学も発達してきて、夜空に輝く一際大きな星、木星が天球を1周するのに12年かかることを発見しました。
そこで木星を歳星と呼び、十二次に分けてそれぞれの位置で年号を表す記述に使われたのです。 続きを読む 十二支が決められたのは木星の軌道
十干十二支に複雑な意味を持たせた思想家とはすう衍(すうえん:すうの漢字は馬偏に芻の旁)。
諸子百家の一派で、六家のひとつ陰陽家の出身。
すう衍は陰陽思想を元にした五行説を唱え、それが各地の諸侯におおいに持て囃されたことから周の戦国時代、一気にブレイクしました。
陰陽思想と五行説、なかなか難しいので、できるだけ簡単に説明しますね。
ほんの入口しか紹介しないので興味のある人は本格的な書物で研究してください。
それから詳しい人はできるだけツッコミを入れないように。 続きを読む 思想家は陰陽五行説を語る
陰陽五行説が十干十二支に意味付けを行うようになると、干支は単なる暦だけでなく、万物の吉凶を表すようになってきます。
陰陽五行説が最初に意味付けをしたのは十干。
甲を訓読みすると、きのえ、乙はきのと、ですね。
丙はひのえ、で、丁はひのと。
きのえ、は木の兄、きのと、は木の弟。
ひのえ、は火の兄で、ひのと、は火の弟。
末尾に付く「え」と「と」が日本の干支になったのです。 続きを読む 無限の方向性を持った十干十二支
日本では十二支が一般的となっている「えと」が、十干の陰陽五行説を由来としていることはお分かりになったと思いますが、動物が出てこないじゃないか!と早くもお怒りの人のために、本題へ入る前に軽く干支と動物の関わりを説明しましょう。
といっても、なぜ猫が入っていなんだ?的な動物の話はみなさん、ご存じの通り。
子、ネズミが猫に嘘をついてお釈迦様の集合日を1日ずらして1月2日と伝えたため、猫は遅刻して十二支に入れず、以後、猫はネズミを追い回すようになった、とか。
その時、お釈迦様に「顔を洗って出なおしてこい!」と言われたために猫は顔を洗うようになった、とか、所謂、伝承民話が元になっているだけですね。 続きを読む なぜ十二支の動物に猫は入っていなかったのか?
十二支と動物の関係で、必ず猫が出てくるのは、それだけ猫の支持率が高いということなのかどうか知りませんが、犬と猿にも触れています。
犬と猿は仲良く連れ立っていましたが、途中から我先と考え始め、競争を始めました。
そこで大喧嘩になり、仲裁に入ったのが鶏。
そのままお釈迦様の前に出てしまったため、犬と猿が喧嘩しないように、申と戌の間には酉が入っているというもの。
ネズミのずる賢さに牛は怒らないのか、とか、お釈迦様はズルも喧嘩も高みの見物かよ、とか、突っ込みどころ満載ですが、この辺りが本来の陰陽五行説と伝承民話の違いですね。 続きを読む なぜ十二支を動物にたとえたか?
十干十二支は神話の世界から十干が生まれ、十二支は天文学から生まれました。
これに大きな意味をつけたのが陰陽思想で、十干十二支は陰陽五行説を元にした干支となりました。
これらをもう少し理解するためには根底にある陰陽思想を知っておかなければなりません。
陰と陽、どちらが正でどちらが悪という善悪二元説ではなく、森羅万象を形成するためには両方の均衡がなければ成り立たないという思想が根本にあります。
男性は陽、女性は陰に分類されますが、どちらか一方、あるいは数が偏っていては子孫の反映は成り立ちません。 続きを読む 究極の二元論を持つ陰陽思想
陰陽思想は陰と陽の二元的成り立ちを十干に用いています。
それが陰陽五行説。
木は樹木の成長・発育の様子を表現し、春の象徴となります。
火は光りをもたらす炎、また灼熱の性質を表現し、夏の象徴となります。
土は植物の芽が土の中にいることで万物の育成と保護を表現し、季節の変わり目の象徴となります。
金は土の中にある鉱物を意味し、金属の持つ堅固、冷徹を表現、秋を象徴します。
水は湧き出る泉こそ命の源であるという意味から胎内と霊性を表現、冬を象徴します。 続きを読む 五元素が最初に東西南北を決める
十二支を使った方位は円グラフに子を頂点、つまり北にして右回りに書くと分かりやすいので、自分で書くか、あるいはネットで分かりやすい図表を見てくださいね。
円グラフにすると、これが方位だけでなく時計になることも分かると思います。
十二支をそれぞれ2分割にすることで24時間計になるわけですね。
そうするとちょうど12時、南の方向、真下に午が来ます。
勘の言い方、もうお分かりですね。この午を境に、それ以前を午前、それ以後を午後と呼ぶようになりました。
ちなみにA.M.とP.M.はラテン語の略で、それぞれante meridiemとpost meridiem、meridiamを英語に直すとmidday、つまり正午ですね。 続きを読む 午前と午後は十二支から生まれている言葉
方向や時間を示す役割は十二支が持っていることを解説したので、以前、保留にしていたこと、なぜ旧暦の正月は子から始まらないのかを説明しましょう。
方角を見ても子は北、24時の位置にあり、陰陽思想からいっても始まりの場所ですが、旧暦の正月は子より2ヶ月後、寅から始まっています。
これも古く後漢時代まで遡らなければなりません。
まず毎月の1日は、北斗七星の柄の部分がどの方位を向いているかによって決めていました。
これを月建といいます。
星空の位置は地球の公転軌道で毎日変わり、1年で1周するので北斗七星の柄の方角を12分割し、ある時点を月建とすれば、その後は十干十二支の法則にしたがって暦を作れますが、どの月建を正月とするのか、それが問題でした。 続きを読む 年の始まりが子の月でない理由
森羅万象を作り出す五元素は十干に意味付けを行うとより具体性を帯びてきます。
十干の名称は自然の摂理を表している言葉であり、また陰陽五行説に基づく意味を内包しています。
例えば甲(きのえ)は樹木の始まりであり、種子が甲冑を被っているかのような形で活動を始めようとしていることを表現、戊(つちのえ)は茂るに通じてまさに樹木、草花が咲き乱れる様を表し、辛(かのと)は新に通じて枯れた草花を一掃する意味があり、壬(みずのえ)はまた発芽する種子を「妊」むという意味を表現しています。
十二支にも同じように陰陽五行説における意味が漢字に表れています。
卯(う)は旧暦の2月、新暦の3月ですが、この文字は新芽が2つに分かれて地上に出る姿を表していると言われ、草木が地面を覆う状態を意味しています。 続きを読む 十干十二支の漢字に込められた意味
陰陽五行説は万物の生成を十干十二支に喩えていますが、これは一例であり、五行が木を頂点に右回りで順に相手を生み出していく作用をしている間は相生といって陽の関係になりますが、当然、世の中はそんなおいしいことばかりではありません。
その辺のところ、陰陽五行説はきちんと分かっていて(なにしろ森羅万象を司る理論ですから)相生以外にも相剋、比和、相侮、相乗という五行の関係を示し、それらによる結果にも言及しています。
そのなかでも相剋は相手を滅ぼす陰の関係を示しています。
木剋土といえば、木は根を地中深く張り、土の養分を吸い上げて土地を痩せさせてしまうことを表します。
土剋水といえば土が水を濁らせ、水を吸い取り、流れようとする水をせき止めることを表します。 続きを読む 相手を滅ぼす五芒星の相関関係
陰陽五行説の五行は互い、あるいは同じ行同士で作用して万物を生み出したり滅ぼしたりしています。
相生と相剋は真逆ですが、相剋も場合によっては反剋になることもあり、陰陽五行説は相侮として表しています。
相剋では木剋金で木が切り倒されてしまいますが、相侮になると金の剋を受け付けず、逆に木が金を侮ります。
これが木侮金。
同じように金侮火では金が強すぎて逆に金を侮り、火侮水では火が強すぎて水を侮り、そして土侮木では土が強すぎて木を侮ります。
この相侮、どちらかが強いだけでなく、どちらかが弱い場合も関係が成り立ち、虚の文字が使われます。 続きを読む 陰陽思想の二元論は相互作用を表す