風水というのは、まじないでも占いでもないといいました。それにしても、世にあふれている風水というものは、占いのたぐいまじないのたぐい、ゲンかつぎののようなものがなんと多いことか。
くどいようですが、方位方角だとか、住む人の生年月日から、どこそこの方角にどの部屋を配置するのがいいとか、西の部屋の壁にまっきっきのタペストリーを飾りましょう、そして財運をよくするには、ボラが素麺喰ってる絵(鯉の滝のぼりの絵)を飾りましょうなんてのは、いわば風水の酒かすのようなものです。
本をどれだけ読んで知識を得ようが、風水師の指導を受けても、実際の御本人さまが幸せになっていなけりゃ、ハナシになりません。こんな落語のようなことが、実はゲンジツにあることなのです。
新作落語かなんかだったら、あはははは、バカだね与太郎は、なんつって笑って済ませられるてえもんですが、べらべらべらべら言うことが噴水のごとく出てくる風水師ならぬ噴水師みてえなモンの指導を受けたはいいが、寝床に行くまで天井から吊り下げられた七つの水晶玉やら、ペンタグラム形に床に配置さ盛塩に触れずに、身をよじりながらながらいかなきゃならないもんだから、神経衰弱になっちまって夜も眠れねえ、なんてな風水信者のような人のことは笑うに笑えません。
風水という余計な知識が住まいの環境をかえって悪くしている、ということが実際にあるのです。(マスコミなどの影響で)外部から入った(入れられた)、余計な思考や知識が自分の行動をがんじがらめにしてしまうことがあるわけです。
ですから、それこそ風水の知識などない人のほうがかえって明るく楽しく豊かに暮らしていたりするんですね。皮肉なものですね。
風水というものを何か神秘的なもの、専門家でないとわからないもの、みたいにしてしまった商業的風水屋というのは、昨今の占いブーム、スピリチュアルブームにのせられて自己肥大してしまった占い師や霊能者のようでもあります。
トリビアな無駄知識、アホ知識なら、酒場でくだまくオヤジのウンチク程度で笑って済ませられましょうが、ここまで偏った風水ブームはちょっとなんだかアブナイ感じがします。
本に書いてあることや、自称風水師の云うことなど鵜呑みにしないほうが賢明です。もちろん、占いおっさんの戯言も。参考にするのは大いに結構ですが、最終的には自分の感覚(センサー)を重要視するべきです。
あなたも簡単に風水を観ることができます。しかも、本など読まなくてもいい、というより読まないほうがいいかもしれない。
何度もしつこく書きましたが、風水が良いか悪いかは、方角だの生年月日だのなんだの数値データではなく、あなた自身の感覚が決めることなのです。
快・不快で決めればいいだけのことです。
現在の環境が心地よければそれでいいのであって、ちょっとクサイとか暗くてキモチワルイとか感じるのであれば、臭いの元を断つとか、掃除するとか、蛍光灯を取り替えるとかして、キモチヨク快適にすればいいだけのことです。
どこぞの方角に赤い色のものをおいて、キモチよくなるんだったら大いにやってください。
でも、どこそこに何色の置物をしないといけないとか、そういのが気になって気になってしょうがない、ストレスになるならやめたほうがいいのです。
どうかあなた自身の感覚を大切にしてください。