日本語の「気」そのものには物質的な意味もなければ霊的な意味もありません。
ただし、中国語の「気」に通ずる外国語はたくさんあります。
英語であればAURA(オーラ)で、これはラテン語のaura(アウラ)そのもの、また英語のSpiritやラテン語のSpiritusも「気」の意味を持っており、ギリシャ語のプシュケーやサンスクリット語のプラーナなどもその類です。
これらの意味、日本語に直すとスピリチュアルな要素が強くなるので魂とか霊気などという言葉が用いられ、「気」単独とは意味が異なってきます。
つまり日本における「気」とは無味無臭、透明不可視な存在ですが、さまざまな要素が加わることで「気」が変化すると考えることができます。
強い気が精神的に満ちていれば「元気」になり、逆に悪い気が体内に入り込むと「病気」になり、相手のことを思いやる時でも疎ましく思う時でも、「気を使う」とか「気に障る」というように気が変化します。
これこそ広義に考えれば気の流れ(変化)と言うこともできます。
気の流れは風水によるといろいろな要素がありますが、それらの要素は自分で考えても分かること。
つまり風水の因果関係が分からなくても、自分の「気」は自分で考えればどのようにでも変えられる、流れをよくできるということでもあるのです。