荒俣氏の「風水先生 地相占術の驚異」からさかのぼること約30年、風水の本場である台湾から張明澄(ちょうめいちょう)が来日、その後、1972年には帰化して小島聖一という日本名になります。
日本語能力が堪能なこと、学問に秀でていることなどの理由から日本に請われて来日、その張明澄の収得した学問の中に風水があり、日本の風水の原型は張明澄から始まったと言われています。
張明澄の風水は本格的な理気派。
つまり陰陽思想や五行説、八卦など目に見えない事象を取り入れた風水で、理気派に欠かせない羅盤の作盤法も張明澄が日本に紹介しています。
張明澄の風水理論をここで書くとそれだけでコラムが終わってしまうので省きますが、とにかく張明澄の博学ぶりたるや陰陽思想を説いた伏犠の再来ではないかと思えるほど広範囲に渡っています。
分かりやすいところでは日本人の漢文学や漢詩の訳における間違いを指摘した漢学に始まり、陰陽思想に基づく中国医学、西遊記を題材にした南華密教学、自分自身の運命を変えることができる記号分類学の五術、その方法論の六大課(りくだいか)、そして日本の風水における柱となった占術法の奇門遁甲(きもんとんこう)まで収得しており、とくに奇門遁甲は日本だけでなく地元の台湾でも張明澄の著書が一大ブームとなりました。
つまり日本の風水における元祖は張明澄ということになります。