話を風水に戻しましょう。風水の言葉を最初に使ったのは晋の学者であり卜者であった郭璞。
郭璞は墓地を選ぶ際、最適な場所を選ぶ方法を記した「葬書」も書いたとされています(諸説あり)。
まあ、書いた人が誰であれ、「葬書」は風水における原書的役割となり、後に「隠宅風水」の基礎となりました。
「隠宅」とは墳墓のこと。
死者の居住空間、つまりお墓の位置が正しければ死者は長く幸せになり、その子孫も繁栄するという考え方から隠宅風水が生まれました。
その対語として生者の居住空間を陽宅と呼ぶようになり、生者の幸福を生み出すために風水が応用されるようになると陽宅風水という言葉が生まれました。
かなり現代に近づいてきましたね。
郭璞の「葬書」以後、すでに陰陽思想が風水に取り込まれていることも分かります。
風水はさらに唐代、7世紀頃になるとさらに盛んになり、巒頭(らんとう)派と理気派に分かれていきます。
巒頭派とは、その土地の質や気の流れといった地相学的な眼に見える有形物から風水を判断する方法の一派で、理気派は陰陽五行説や八卦など伏犠の思想を元に方角を加味した目に見えない無形物から風水を判断する方法の一派です。
日本の風水は理気派の傾向が見られますが、これはまた日本における歴史が風水を独自の形にした結果といえます。