最初は地相学だった卜宅、のちに風水と呼ばれるようになるのは普の時代。
つまり三国志の後のことですね。
すでに西洋ではグレゴリオ暦が完成しており、普の時代は紀元265~420年頃といわれています。
卜宅は現在から見れば確かに地相学としての因果関係を表わしていますが、当時はあくまで占術のひとつであり、卜(ぼく)は人が関わる事柄を占うという意味があります。
卜宅は文字通り家を占うという意味で、卜者といえば占い師のこと。
ただし当時の占い師は学問的な意味合いが強く、博識者でなければ卜者と名乗ることができない高い地位にありました。
普の時代の博識者で東普王朝の権力者に重宝されたのが郭璞(かくはく)。
郭璞が言ったとされる「気乗風則散 界水則止 古人聚之使不散 行之使有止 故謂之風水」が風水の語源と言われています。
これを訳すと「気は風に乗れば則ち散り、水に界せられば則ち止る。古人はこれを聚めて散らせしめず、これを行かせて止るを有らしむ。故にこれを風水と謂う」となります。
もっとも、この言葉は郭璞の著である「葬書」に出てくるわけではなく、その後、唐代になって成立した説もありますが、それはともかく普の時代には「卜宅」が「風水」と呼ばれるようになっていたことが推測できます。