陰陽五行説は5つの要素にそれぞれ陰と陽を組み合わせて10通りの種類を作り、これを十干と呼びます。
種類の呼び名は甲(こう)、乙(おつ)、丙(へい)、丁(てい)、戊(ぼ)、己(き)、庚(こう)、辛(しん)、壬(じん)、癸(き)となりますが、これでは日本人に浸透しづらいことから、日本語読みが生まれました。
それが、きのえ、きのと、ひのえ、ひのと、つちのえ、つちのと、かのえ、かのと、みずのえ、みずのと、で語尾の「え」は兄を、「と」は弟を表します。
つまり「干支」は陰陽五行説に由来する言葉なのです。
陰陽五行説はこれに12支を加え、陰は陰と、陽は陽と組み合わせるので合計60通りの種類ができ、これを方位や日付に当てはめて吉凶を占いました。
平安時代に隆盛した陰陽五行説と陰陽師は安倍晴明の例を見ても分かるように皇族・公家・貴族の公的な機関として活躍しましたが、平安時代から鎌倉時代、政権が武家に移るとその存在感を失い始め、豊臣秀吉が実験を握ると、陰陽師を弾圧して追放、やがて陰陽師の権威は完全に失墜しました。
国家権力の中枢にいた陰陽師は弾圧と追放によって一気に庶民の間に流出、一時的に庶民の間でも陰陽師が活躍した経緯があります。