風水に限らず、占術はすべからく予言を実現させるスーパースターの登場によって世に流布されていきます。
西洋占星術では数学や天文学に多大な貢献を残した古代ローマの学者、クラウディオス・プトレマイオスがそうであったように、風水にも西普・東普(265~420年)の時代に郭璞(かくぼく)が登場しました。
河東間喜(現在の山西省)の寒門の生まれ(要するに貧乏な家ですね)ましたが、幼少の頃から勉学に勤しみ、五行・天文・卜筮(ぼくぜい・占術の意味)に秀でて、その才能は三国志に出てくる占術師、管輅(かんろ)をしのぐほどと言われました。
三国志の後、普が国家統一を果たしましたが、わずか数十年で平和は破れ、動乱の時代に突入した時、自分たちの土地が戦乱に巻き込まれて蹂躙させるので、この地を去った方が良いと卜筮で占い、江南に避難します。
この道中もさまざまな術や予言で難を逃れたというから、一種の超能力者ですね。
江南の地にやってきた郭璞はその後、東普の元帝に招かれ、その卜筮が多いに活用されました。
銅鐸の出土や泉の出現といった東普中興の正当性を示す事柄の予言も行ったことから元帝に寵愛され、その後も元帝の息子、司馬紹の側近としての地位を獲得、東普の政治に大きな影響をもたらしました。