井原西鶴によって恋のために放火した悲劇の少女となり、近世江都著聞集で気性が激しく夫を短命にさせる丙午(ひのえうま)の女にさせられてしまった八百屋お七ですが、じつは火あぶりの処刑から逆算すると1666年生まれではなく、1668年生まれだったのではないか、という説があります。
そうすると丙午ではなくその2年後、戊申(つちのえさる)生まれとなり、火の象徴、さらに陽の干はどこにもないことになってしまいます。
そこで疑問に思うのが恋仲と言われた庄之助。
井原西鶴の「恋草からげし八百屋物語」では吉三郎の名前ですね。
この男の生年月日は明らかにされていません。
陰陽五行説における干支は二元論であり、相互作用によって結果が生じます。
つまり仮にお七が丙午だったとしても単独では作用が起こりません。
けれど庄之助が同じ歳だとしたら、これはもう比和の悪い方向に進んだ最悪の結果ということになります。
その2年後生まれ、お七が戊申だとしたら、戊は土の陽で申は金ですから土生金の相生となり、とてもバランスの取れた少女ということになりますが、庄之助が丙午だとしたら相剋の関係、火剋金になり、庄之助が八百屋お七を滅ぼした結果になります。
いずれにしろ、お七だけが結果的に火あぶりに処されましたが、その原因、陰陽五行説の干支にこじつけるなら、相関関係である庄之助の詳細が必要でしょう。
丙午はけっして単独で結果を出すわけではないのですから。