八百屋お七と丙午の女 PART-1

陰陽道から生まれた日本独自の風習は鬼門以外にもあります。

丙午(ひのえうま)の女。

これ、聞いたことありますか?

元になったのは江戸時代、八百屋の娘であるお七の物語です。

お七は江戸を襲った天和の大火に巻き込まれ、家を失って家族と一緒に正仙院という寺で避難生活を送ります。

このお寺にいた小姓生田庄之助と恋仲に落ちるお七、やがて店が立て直されて寺を引き取るものの、庄之助への恋心は募るばかり。

そこでお七、また家が燃えれば寺へ避難して庄之助と逢える、とばかり自宅に放火してしまいます。

江戸時代は燃えやすい家屋が並ぶ街並みで一度火がつけば忽ち辺りは火の海。

放火は大罪だったため、お七はあえなく鈴ヶ森刑場で火あぶりの刑に処されます。

一応、これ、実話です。

比較的信ぴょう性が高いと言われている「天和笑委集」に短く載っただけですが、それを拡大解釈したのが好色一代男で知られる井原西鶴。

浅野家浪人が吉良家に討ち入りした事実が仮名手本忠臣蔵になって江戸時代の庶民の溜飲を下げさせたように、八百屋お七の物語もメロドラマとなって浮世絵から文楽、小説や落語にまで連綿と語り継がれています。

おっと。日本独自の陰陽の話でしたね。

では八百屋お七のお話、続きでどうぞ。

関連記事(一部広告含む):