十干十二支によって干支となり、暦が60週年サイクルで巡るのですが、これは年に限らず月、日にも当てはめられます。
1年は12ヶ月ですから、これに十二支が当てはめられ、日には年と同じ十干と十二支を組み合わせて60日周期としました。
この暦の方法、今でも日常的な会話で用いられています。
先々、きちんとした予定は立てられないけれど、だいたいその辺りで物頃を決めたい、という時、4月の上旬頃、などという言い方をしますが、この上旬とか中旬、下旬は60日周期から生まれた言葉です。
この干支では十干が10日サイクルであることから、1サイクルを旬と呼んだ習慣があり、ここから太陽暦の1ヶ月を約30日に分けて、上中下、それぞれに旬をつけるようになったのです。
ちなみに十二支を月に当てはめると旧暦の正月、新暦の2月が寅月になり、旧暦二月、新暦3月が卯月、以降、辰月、巳月と続いていきます。
なぜ旧暦の正月が十二支の始まり、子ではないのかというと、じつはこれ、中国の歴史とさらに十二支の持つ方向性が深く関わっているのです。
十干と十二支について、もう少し別面を解説し、その後、方向性や歴史に入りますので、その時にでもなぜ旧暦正月が子ではないのか説明しますね。
まあ、これはそれほど重要な問題でもありませんから。