ところで、これから何か「改良発明」を目指そうとするとき、男性と女性とでは、目を向ける「発明の対象」にも違いがありそうです。
男性の場合は、「特殊な装置や機械」とか、あるいはそうしたものの「技術的な改良」といった、どちらかというと「高度な発明」を、最初から目指しているケースが多く見受けられます。
それに比べて、女性の場合は、「ごく日常的なモノの改良」、つまり「皆が必要としているモノの改良」に目が向けられる傾向にあると言えます。
このように、男性の発明志向(思考)は「専門的・技術的」な傾向にあることから、すぐには大衆から受け入れられにくいのに対して、女性の発明志向(思考)は「大衆的・日常的」なものが多いことから、すぐにも大衆から受け入れられやすい、という違いを生む背景になっています。
前者は、「文明」(社会)に寄与するもの、後者は、「文化」(個人)に寄与するもの、とも言えるかもしれません。
実際に、女性の考案あるいは発明による商品のほうが、大衆に受けて、ヒット商品化しやすいと言われています。
ある特殊な専門分野で新製品の研究に携わっている人は別として、これから何か考案や発明を目指そうという人は、もっと日常的な身の周りの中に、そうしたアイデアのヒントを見出そうとするほうがいいでしょう。
とくに男性の中には、「技術的に高度なものでなければ発明ではない」と思い込んで(信じ込んで)、分不相応にも高度な発明にトライしようとして、その結果、「発明貧乏」とか「出願貧乏」「特許貧乏」などと揶揄される憂き目を見ている人が多いのです。
では、身の周りの、どこにそうした発明や改良のヒントがあるのでしょうか?
それは、身の周りの製品の中にある、「不便」「不満」「不安」に思う部分といってよいでしょう。3つの「不」(フ)なので、これを「3フ」(3FU)と呼びましょうか。
そして、こうした不便な部分が改良されて、もっと使い勝手がよく、また安心できるものになったとしたらどうでしょう。
問題が「解決し、改良し、解消し」(3KAI)、より「便利、満足、安心」できるものとなるのです。
だから、これまでの従来品の中にある「不自由で不都合な部分」を見出して、その部分の「自由度を上げ、利便性を高める」、その工夫(これまでになかった斬新的なアイデア)こそが大事になってくるのです。
そして、それを「低コスト・高クォリティ」で実現する余地さえあれば、もうあなたは「発明・特許長者の道」を歩み出していることになるのです。