お灸の器具を工夫して使っている院長先生の話が出たので、こんどはユニークな鍼治療を行っている院長先生の話もしてみよう。
横浜のO治療院の院長は、それこそ「創意工夫」という言葉が好きで、ユニークな治療器具をこれまでにも幾つか発明してきた。たとえば、耳を掃除する綿棒が取りつけられるモーター内蔵の器具(この器具に綿棒をはめたうえで、綿先の部分を耳に入れて回転させるのだという)や、石鹸を入れるプラスチックケースにタワシが付いているもの(これで体を洗えば、石鹸と一体になっているので便利ということ)などだ。
この発明家(兼治療家)院長は、私のマッサージの先生でもあった。ある日、その先生から「とっておきの発明の試作に成功した。それはこれまでの鍼治療を一新するものだ」と連絡が入った。そこで、新しい発明試作品を見せてもらうと、それはマッチ箱大の止め具のついたステンレスケースだった。このステンレスケースには鍼治療で使う鍼が100本まで収納でき、それを手首にしたバンドに装着できると言われた。要するに、「携帯用鍼ホルダー」なのだ。
発明の効用としては、「腕に装着できる鍼ホルダーなので作業能率が向上」「経穴を探す際の取穴法(指幅法)を行うときでも、腕に装着しているホルダーから鍼が取れるので便利」「鍼の取り扱いが簡便になる」「ステンレスのため素材が軽く、丈夫で長持ち、経済的にも安価」「多数の鍼を収納したまま、高圧滅菌が可能」「患者さんの数にあわせた専用鍼保管容器としても応用可能」「血液感染や院内感染の心配が不要になる」「鍼滅菌の手続きが極力簡易化する」「ディスポ鍼の取り扱いも楽にできる」「視力が減退している先生も、鍼を一本一本、確実に取ることが可能」などという。
私は、この鍼ホルダーの発明としての権利を得るための各種手続き、普及するためのチラシ作成、腕に巻く専用のホルダー付属バンドの選定、業者探し、治療専門雑誌への投稿記事作成(「今、なぜ専用鍼を問うか」というタイトルで)、学術報告書の下書きなどを依頼され、その後半年ほど、この鍼ホルダーの効用を書いたチラシや広告文章を作ったり、意匠写真を撮ってもらったりと、大忙しの日々が続いた。
しかし、鍼ホルダーのネーミングを考えたり、広告用のキャッチを作ったり、オリジナルのバンドを製作してもらう業者を探したり、印刷屋を回ったり、特許庁に赴いたりと、そうしたことの一つひとつはとてもよい経験になった。
鍼ホルダーは、このO治療院が製作販売元というスタイルで普及されていった。O治療院の中でも、患者さんの専用鍼ケースとして、重宝がられていた。ひと頃、鍼治療院でのエイズやB型肝炎ウイルスの感染が話題になり、それに伴いディスポ鍼(使い捨て鍼)も出回ったが、やはり従来の鍼にこだわる先生もおり、高圧滅菌の重要性が再認識されたのだ。
鍼ホルダーは患者ごとの専用鍼ケースとしても用いることができ、しかもそのまま高圧滅菌ができるので、B型肝炎感染対策にも応用が効くと、院長先生は主張していた。
鍼ホルダーに惚れ込んだ人の中には、盲学校の鍼灸講師もいた。視力障害を持つ生徒は、授業の中で鍼治療も習うのだが、このホルダーなら腕に直接装着できるので、危険もないし、作業も捗るだろうとされたのだ。つまり、鍼皿の位置を確認したり、鍼を探す必要もなくなる、というわけである。院長先生はその後も、耳の穴の中に微弱な低周波パルスを流す案だとか、紙製の簡易腰痛バンドの案を思いつき、「いつか開発したい」と楽しそうに語っていたものだ。