発明の対象には、「方法」と「物」とがある。何かのノウハウといっても、それには形が無いように、「方法の発明やアイデア」の場合は、もともと形には表せられない。ここで対象にしているのは、「物の発明」である。だから、アイデアを世に出すうえで、まずは実際に、それを具体的な形にしてみることが大事になる。
高度な「物」の発明では、試作も大変な作業となるだろう。しかし、この本で扱っているのは「小物発明」だ。それは、これまでも何回か紹介してきた「ダイエットスリッパ」や「バンダナ風よだれかけ」など、〔身の回り品の改良を中心とした小規模な発明〕といえるものだ。そして、ヒットしたアイデア商品は、往々にして主婦発想の発明であることが多い。
それらはいわば、「生活の知恵」を形にしたものとも言える。「生活の知恵」は、便利な知恵として、皆に重宝がられるものだ。しかし、「生活の知恵」といった場合、それはまだ単に、一つのノウハウであるにすぎない。たとえ、ある形として使われていても、商品にはなっていないからだ。
あの「青竹踏み」なども、足の疲れを取り去るのによい知恵(方法)だったものを、足裏のツボを刺激する多数の突起物を設けたり、それ自体をプラスチック製にしたりすることで、商品とすることができた。従来のまま、青竹を半分に割ったものを使っているだけでは、「足の疲れを取り去る知恵」であっても、「足の疲れを取り去るグッズ」としての商品化はできない。
実際、多くの「生活の知恵」の中には、まだ形にされていないものもあるだろう。実は、それは莫大な金を生む「ヒット・アイデア商品」のヒントの宝庫でもあるのだ。だから、昔から伝えられてきた「生活の知恵」の中に、現代の様式に見合うように、商品化できるものがないかを考えるのも、よい頭のトレーニングになるだろう。
反対に、こういうこともあるかもしれない。ヒット商品にもつながるアイデアを発見したのにもかかわらず、それを形にしないで、ノウハウだけを「生活の知恵」として使用しているようなことだ。それはそれで、よい発見、便利な発見であるだろう。しかし、それを試作して、商品価値が認められたら、大変なロイヤリティ収入だって見込めるわけだ。
もしかすると、あの「洗濯機の糸くずとり」にしても、発明者が特許を出願することなしに、ただ生活の知恵としてだけ、伝えられた可能性もあったかもしれない。「洗濯機を回す際に、洗濯物と一緒に、浮きの付いた小さな網袋などを入れるとよい」といった具合にである。
でも、Sさん(「洗濯機の糸くずとり」の発明者)は、アイデアを権利にすることや試作の重要性を知っていた。その結果、生活の知恵的な発想を、何億円ものロイヤリティ収入として得ることができ、さらには別荘まで手に入れたのだった。
以上のことをまとめると、次のようなエッセンスが浮き出てくる。「物を発明する」ことを考えるよりも、まずは「生活の知恵を発見する」ことが大事。そして「生活の知恵を試作する」ことが、すなわち「小物発明を成り立たせる」ことにもなるのだ。