洗濯機の糸くずとりにしても、ダイエットスリッパにしても、長い間の思案があるとき、ふとしたキッカケで、実を結んだことは既に述べた。
こうした「ふとしたキッカケ」とか、「ちょっとした発想」で思いついたようなアイデアが、そんなに簡単にヒット商品になるものか、と思われようが、実際になっているのだから仕方がない。ただし、それらのアイデアが浮かぶ前には、今も述べたように、長い思考過程(努力)があり、またそれが実際のヒット商品になるためには、やはり様々な試行錯誤(努力)があったはずだ。
だから、発明成功者が「ちょっとした発想で」とか「突然ひらめいて」などと、ヒット商品を生み出すに到ったキッカケを謙遜ぎみに話すこともあるが、それなりの努力は必要だったに違いない。
ところで、ヒラメキには、「ピカッときらめく」イメージや、あるいは何かが「ボゴボゴッと湧いてくる」ようなイメージが持たれる。キラメキとヒラメキは語源的にも光るものに対しての表現だ。だから、それは突然の閃光といったイメージであり、また突然に湧き起こってくるというイメージで使われるのだ。あまりにも突然なので、何かが閃いたという感じはあっても、具体的にそれが何なのか、その輪郭がぼやけていることもある。
それに対して、アイデアは観念とか着想、思いつきのことであり、こちらのほうはある程度、まとまった考えを持っている。アイデアは言葉にできるが、ヒラメキを言葉にするのは難しいだろう。ヒラメキもアイデアもともに、頭の中に生じるが、ヒラメキが突然に湧いてくるのに対して、アイデアのほうはそれをもとに徐々に形成されてくる点で違う。
頭の中の滞留時間でいうと、ヒラメキは流れ星のように一瞬の内に通り過ぎてゆくものだが、アイデアはプカプカと雲のように浮かんでいるものだ。つまり、アイデアはヒラメキが成長したものでもあり、具体的な形(概念)を伴ったものだともいえよう。
どうでもいいようなことだが、こうした頭の中で起こっている、発明を可能にするヒラメキのメカニズムを検討してみるのも面白いと思う。以前、「変性意識学会」(発明思考応用研究会)というものをつくり、一時かなり本気でヒラメキの研究に没頭していたことがある。
人はときに一瞬のヒラメキから偉大な発明をなし遂げたりもするが、そうしたヒラメキが湧くような発明思考を研究し、そのメカニズムの再現性が意図的にはかれないものか、あるいは他の面でも応用できないものかと、常に検討・思索していたわけである。同時に、何かを発明した後の、脳内ホルモン環境の変化やそれによる意識の変容状態にも関心があった。そして、ある時閃いた。
「まずは自分自身が、発明を体験してみよう!」と。発明による思考過程を体験できれば、ヒラメキやアイデアの成長過程もある程度、分析できるだろうと思ったのだ。