「最初は一つの小さなアイデアにすぎなかった」といっても、当然のことながら、それに物質的な形があるわけではない。アイデアそのものは無形である。しかし、アイデアやコンセプトが生まれた段階では、すでにある程度は具体的な姿なり形が、頭の中には浮かんでいる。あとはそのコンセプトに応じて、実際に試作をしていくわけだ。
だから、これは「無から有を生む」想像と創造の過程である。創造の前には、想像の段階があるのだ。余談だが、神様が人間を創造する前にも、やはり「人間はこういう形にしよう」と想像していた(私がそれを見たわけではないが・・)。
発明成金(発明成功者)が生み出したヒット商品も、最初は無形のアイデアだった。そして、アイデアの前には、さらにそのアイデアのきっかけとなった「ヒラメキ」があったのだ。歴史上の多くの偉大な発明が、一瞬のヒラメキをもとになし遂げられたとは、よく聞くところである。
たとえば、「遺伝子DNAの二重らせん構造」は、クリック博士がまさに、らせん階段を昇っている途中で思いついたとか、また「聴診器」の発明については、うら若き女性の胸に直接耳をつけるのをためらったラエンネック医師が、筒を耳に当てて遊んでいた子供を見て思いついたとか(子供は筒を耳に当てたまま、その反対側を配管などにつけることで、音が遠くから伝わるのを聞いていた)、他にもこうしたエピソードは多くあるだろう。
創造過程の初めにヒラメキがわき起こる。ヒラメキはアイデアを生み出すうえでのヒントを与える。そうして生まれたアイデアの芽をうまく育てるかどうかは(あなた次第)、一にも二にも熱意に掛かっている。うまくいけば、無から有が生じるのだ。