人間という動物は、大人になっても好奇心を失わないでいるところに特徴があるとされる。チンパンジーにせよ、ゴリラにせよ、他の類人猿の仲間では、成長するに伴い、子供時代には旺盛であった好奇心が(人間の大人ほどには)見られなくなるというのだ。
人間が大人になっても好奇心旺盛でいる根拠として、変わった考え方には、「ネオテニー進化説(幼形成熟)」というものがある。これは、ヒトという種は、類人猿の子供(胎児)の特徴を残しつつ進化してきたと主張するものである。
それはさておき、人間の大人にしても、好奇心の度合いには、かなりの開きがある。概して好奇心旺盛で遊び心を失わない大人のほうが、周りの人からの人気も高く、かつ愛されることから、結局は社会で成功しやすいという傾向にある。
欧米などでは、ユーモアの精神は社交上も必要不可欠なものとされており、機知に富んだジョークやユーモアのセンスは、人間関係の円滑剤とも表現されているほどだ。
一方、日本でのユーモアに対する意識は、かなり低いようだ。ユーモアの重要性が説かれることはあっても、ユーモアセンスを磨くのは専門の職域(お笑い芸人?)だという受けとめられ方をされているのである。
とくに、日本のアカデミズムを代表する先生方のイメージは、眉間にしわを刻み、常になにか難しい問題と取り組んでいるような姿が定着している。笑顔とは無縁という感じだ。
そんななか、愛知県名古屋市にある金城学院大学の森下伸也教授は、「ユーモア学」という、日本ではまだ研究する人が極端に少ない分野を、学問の対象として、「笑い」や「ユーモア」について熱心に講義をしている。ユーモアが学問の対象となったのは、ここ10年くらいのことらしい。
森下教授によると、ユーモアとは、「思い込みが裏切られたときに生じる笑い」であったり、「思い込みと実際に起こった現実との『ズレ』からくる笑い」と纏められるそうだ。だから、漫才や落語、それにコントなどで、ドッと笑いが起こるときは、聞き手が思ってもいなかったことを言われたり、行われたりする、そのズレで笑うということだ。
まぁ、日本のお笑いでは、人をなぐったり、けったりすることで、笑わせたり、あるいは笑ったりもしてきた感がある。だから、「芸のない芸人」なんていう言葉も使われたりした。とにかく、ユーモアで大事なズレというのは思い込みがズレたこと、つまり、「既成概念」「価値観」「常識」などと呼ばれているものが、ことごとく打ち破られたときの「意外性」が、脳に適度な刺激をもたらすことから、人はそれに愉快さを感じ、そして思わず笑いがこみ上げてくるのだろう。
だから、森下教授いわく、「ズレ」はユーモアの基本ロジックということだが、これはアイデア発想法にも言えることだ。「既成概念」「価値観」「常識」に囚われていては、よい発想が浮かばないからである。そうかといって、それら(既成概念)を完全に無視するのではなく、それら(既成概念)の「ズレ」を探し出すことが、発明アイデアのヒントを見出すことにもつながると思うのだ。
洗濯機の中に虫取り網を入れて回してみたり、スリッパを半分にちょんぎって履いてみたり、コンテナ車の中で歌え騒げの宴会をしてみたり、そんな情景を楽しくイメージできるだろうか。最初に誰かがやってしまえば、「コロンブスの卵」で、後は納得もされやすい。でも、それらが、まだ世の中にないときに、最初にそれを実現しようとした人はすごいのだ。
さて、ユーモア学によると、ズレが大きいほど、ユーモアのレベルも高いという。これを「ズレの理論」という。学問の本質も、こうしたズレを発見し、その発見に驚くことにこそ、あるという。そして、やがて驚きは理解する楽しみ、つまりユーモアにもつながるというのだ。ズレはまた、好奇心を呼ぶとも言えよう。
森下教授は、「ユーモアの創造過程」ということも言っている。その過程とはまず「テーマの発見」、そして「固定観念の放棄」、それから「創造」という流れになるという。これはそのまま、「アイデア(発明)の創造過程」とも言えるものだ。
つまり、ユーモアやジョーク(お笑いネタ)をつくる過程は、発明をする過程とも通じるものがあったのだ。うーん、これを以下のように、まとめてみよう。「発明にはユーモアのセンスも必要なり!」