ジェフリー・オブ・モンマスは「ブリタニア列王史」において、全12巻のうち、9巻から11巻途中までアーサー王を描いています。
列王の数は数えるのが面倒なほどいるのに、アーサー王でこれだけのページを割いてしまえば他の王なんて記述することができません。
言ってみればアーサー王を盛りたてる脇役みたいなものです。
実際、「ブリタニア列王史」はアーサー王に関する記述だけが抽出され、その他の部分に関しては注目もされていません。
なぜアーサー王だけが、これだけ後世に残るまで抽出されたのか?
それを知るためには、アーサーがサクソン人と戦った500年代中盤からジェフリーが「ブリタニア列王史」を書いた1136年までの、ブリテン島の歴史を振り返る必要があります。
ユリウス・カエサル率いるローマ帝国がブリテン島に侵入したのは紀元前43年、その後、第4代皇帝となったクラウディウスによってブリテン島のウェールズはローマ帝国の支配下に置かれます。
ただし全島にまで支配は及ばず、アイルランドやスコットランドは土着民族のスコット人やピクト人によって支配されており、ウェールズに侵攻してくることからイングランドとスコットランドの間に境界線と防衛戦を示す長城が築かれました。
ローマ帝国はウェールズをブリタニア、その拠点をロンディニウム、ウェールズに住むケルト系民族をブリトン人と呼びました。
ブリテン島の由来はブリタニア、ロンドンの由来がロンディニウムですね。
ブリトン人はローマ人と同化を始め、文明の高いローマ人となることに誇りを持ち始めましたが、ブリタニアに対する民族の攻勢は止まりません。
やがてサクソン人の侵入が始まります。