旅行雑誌を見ると神社の紹介の部分に必ずある「パワースポット」という文言。
皆さんも一度くらいは目にしたことがあるかもしれませんね。
やみくもにパワースポットと呼ばれる神社を巡るのではなく、どうして「神社=パワースポット」という構図になっているのかを深く考えることもパワー頂くための大事な準備です。
◆困った時の神頼み
皆さんが良く耳にする「困った時の神頼み」という故事は、皆さん自身も経験があることではないでしょうか?
毎月神社に通っている訳でもないのに、厄年に入ると神社のお祓いを受け、厄が明けると素知らぬ顔というのも多いかもしれませんね。
日本人だけではなく全世界共通して言えることは、宗教心や哲学は関係なく、どんな人間も自分の力以外で自分を動かし導くのは神の力しかないということを遺伝子レベルで理解し知らぬ間に悟っているのです。
最近では核家族化が進み、宗教心を学ばずに成人してしまった方も増えているので、「みんなが神社に行くから正月は何となく神社に行かなきゃ」という考え方は珍しいことではありません。
しかし、日本文化のほとんどは神事によって習慣化されたものなのです。
たとえば、正月もその一つであるように私たちの習慣は神様を迎える事から始まり、感謝し願うことから始まっているのです。
ですから宗教心がないのは、ただ何かにすがり、崇め奉らないだけであって、神様に感謝し願うことは無意識の中で自然に敬い、無理することなく理解できていることなのです。
ですから、その遺伝子レベルで感じ、敬っている神様が鎮座されている場所自体が神聖な場所であり、パワーが漲っていないわけはないと思うところからパワースポットと呼ばれている所以なのです。
◆無意味に建てられた神社はない
日本全国の神社の数を数えると30万社あると言われていますが、個人宅に分霊している神社やほこらなどを合わせると、それ以上と言われています。
この神社全て、その場所に建てられた理由があり、方位や社の向きまで全て意味を持って建立されています。
その由緒が書かれているものもありますが、小さい神社などは何故この場所に建立されたかまでは定かではない場合も多くありません。
ですが、その場所になんらかの意味を持ち、実際に神秘が起きた場所であることは間違いないのです。
ですから、昔からその神社は氏子によって守られ、現世まで現存しているわけですし、今も尚、信仰の対象となっているのです。
そんな神秘や奇跡が存在する場所がパワースポットでないわけがありません。
逆に、パワースポットという言葉は安価に表現されて、そこに神秘さも奇跡を感じる余韻も持ち合わせていない様に感じてしまいます。
ただ言葉で言い表せないほどの瞬きを表す言葉である「神秘」や「奇跡」ではなく、本当にそこにある神秘や奇跡をどんな人にも平等に感じることが出来るのが神社であるというパワースポットなのです。