非モテでも必ず訪れているモテ期

恋愛のパワーを違うベクトルに向けるというのは、モテ期における効率的な手段でもあります。

自称非モテのベクトル方向が多少マイノリティだとしても、今は嗜好の多様性時代ですから、そのベクトルにも群れは存在しています。

たとえ身近に群れがなくても、今はネットを通じて群れを作ることができますし。

非モテのベクトルに対するパワーは時として『オタク』と表現されますが、その深い専門的知識と習得に対する情熱はもっと高く評価されるべきでしょう。

種の多様性において知は貴重な存在のひとつ。

群れのなかに入れば知が高いほど、異性から尊敬の証である瞳キラキラのビームが送られ、本来はモテ期突入と実感できるはずなのです。

もし、その群れのなかに異性がいなくても、第2期まで恋愛パワーのベクトルを他の方向に向け続けていると多少なりとも結果が蓄積され、それは趣向に関わらず畏敬の念が伴うはず。

ジャンクのコレクションを続けていけば、数と時間経過の要因から価値が高くなるのと同じ原理ですね。

そこに新たな共感が生まれるかもしれませんし、共通の価値観を持つ異性が表れる可能性もあります。

けれど自虐性から恋愛感情を遠ざけているため、モテ期の到来を自ら打ち消してしまうのが現実。

非モテがモテ期を希望するなら、自らのポテンシャルをもっと信用し、他の人に対する警戒心のバリアを解く必要があります。

それによって、現実的な痛みを伴う失恋を経験することになっても。

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