「共感覚」という現象があります。これは、ある音を聞くと、それが刺激になってある形が見えたり、あるいは、あるモノを見るとある匂いを感じたりする、一種の感覚的異常のことを指した言葉でもありますが、もしかすると、古代の人々はそうした「共感覚」機能を現代人よりも洗練した形で備えていたのかもしれません。共感覚の症例によると、あるモノには常に同じ形や音や匂いが結びついているということです。
現代からすると、単なる異常にしか過ぎない、この感覚を古代の人々が「世界をより深く探るための一つの能力」としていたなら、きっと当時の言語の音や文字にも「共感覚」によって得られた情報が含まれていたはずです。
もちろん、ここまで述べてきたことには何の根拠もありません。人類が最初につくりあげた言語が、ほんとうに「イメージ言語」(右脳的・感覚的言語)として、潜在意識に直接的なアクセスを可能にする機能を有していたのかどうか、それは何とも言えないことです。
しかし少なくとも、古代の言語に比べて、現代の言語は、左脳的思考法によって築かれたものが多いということは言えます。逆に、古代の人々は、素直に「イメージ」を音に、そして形にしていくことで、古代言語や古代文字などを造っていったのでしょう。
その「イメージ」のもとが、人類の深層心理に根づいていたのではないのか、ということです。そこは、今も昔と変わることなく、やはり神聖で神秘的な領域です。根源言語も、右脳言語であり、神聖言語であったはずです。また、人類の心の深層にある「原型」(いろいろな初期イメージ)と結びついた、「深層言語」でもあったはずなのです。