有名な創世神話によると、創造主は最初のヒトであるアダムに対して、あらゆるものに名前を付ける権限を与えています。名前付けは人間に任せていたのです。
ただし、もともとの「言語」自体は、創造主がヒトに与えたものであると、ほとんどの神話は教えています。ユダヤ教の教えをはじめ、北欧神話などでも「言葉や文字は神からの贈り物」だとしているのです。
新約聖書に出てくる「初めにロゴスありき」という言葉も、また有名な一節です。つまり、神学的には、宇宙には最初から言葉があったということになります。
インド・ヨーガの教えにも「この世は言葉(バイブレーション)によって創造された」という言葉があります。つまり、神学的に「ロゴス」は「神の言葉」ということなのでしょうが、もう少し科学的に捉えてみると、「初めのロゴス」とは、「宇宙開闢のビッグバン」と解釈することもできそうです。
どちらにしても、「音」とか「振動」といった手続きを通して、宇宙は脈動をはじめたということが言えるのではないでしょうか。
ある名前の意味を考えるとき、そもそもなぜその名前にはその音が選ばれたのか、まことに興味深いところです。なぜ牛は「ウシ」といい、馬は「ウマ」という音になったのか、ということです。
いまでは、世界中に何千種類もの言語があり、それらが複雑に影響しつつ言葉も作られているのですが、根源言語の場合、「ある事物の名前」と「その名前がもつ音」との関係には想像以上に深いつながりがあったのではないかと思うのです。
言葉の本質は音声です。もしも、この音声に普遍的(不変的ともいえる)な性質があるとすれば、異なる言語間においても「音」と「イメージ」の間に、共通の認識を起こさせる、そんな作用もある程度はあるのかもしれません。音とイメージが一つになると「意味」が生まれます。