本当の友人であれば、時には意に反してでも忠告しなければならない時があります。
しかし、大方の忠告はたいした決意もなく、世論や常識、固定観念に当てはめて正義を気取った行為でしかありません。
忠告をするなら、その責任を最後まで果たすことが本来の人間関係ですが、正義を気取った忠告は時に中途半端となり、言った人間の自己満足で終わるケースが少ない上、忠告された方は単に気分を害しただけとなります。
ニーチェは他人の忠告に対して、次のような言葉を残しています。
「人が意見に反対する時は、だいたいその伝え方が気に食わない時である」
居丈高の忠告は必ず反発を招くものです。
だって、本人はその忠告の意味を知っていることが多く、自分でも間違っていると思っている場合でさえ、あるのですから。
その部分に塩を塗りこむような言い方をされれば誰でも開き直ってしまうものです。
大切な人に忠告を与えるなら、まず自分に問いかけてみることが必要。
そんな時はレゲエ・ミュージシャンだったボブ・マーレイの言葉を思い出してください。
「指をさして人を非難する前に、君のその手が汚れていないか、確かめてくれ」
確かめてみれば、友達に対する忠告の仕方も、きっと変わってくるはずです。