今でこそ田中将大投手やイチロー外野手、ダルビッシュ有投手がメジャーリーグで活躍していますが、その礎、突破口となったのは元近鉄バッファローズ、元ドジャースの野茂英雄投手です。
1994年、近鉄バッファローズとの契約交渉に臨んだ際、近鉄側の対応と当時の監督だった鈴木啓示氏との確執から退団を決意、しかし近鉄側はあくまでも他球団で野茂氏をプレーさせないように任意引退扱いにしました。
その時、野茂氏が目指したのはメジャーリーグ。
翌年の2月、マイナー契約を結んだ時の年俸はわずか980万円でした。
誰もが成功するとは思っていなかなったなかで、野茂氏は快進撃を続けます。
ルーキー・オブ・ザ・イヤー、最多奪三振のタイトルを獲得、日米通算100勝の記録、さらにノーヒットノーランまで達成しました。
「メジャーリーガーになるんだ、という強い意思さえ持っていれば、いつかはきっと叶う夢だと信じてやってきました」
野茂氏はこう語っています。
でも、野茂英雄投手が本当にスゴイのはメジャーでの華々しい記録ではなく、絶頂期を過ぎたと思われる頃からの活動でしょう。
ドジャース退団後はメッツ、タイガース、レッドソックス、再びドジャース、さらにマイナー・リーグのタンパベイ・デビルレイズ、ホワイトソックス、青母語、ベネズエラのウインターリーグまで行って投手を続けたことです。
「花があるうちに止めるんじゃくて、落ちぶれてボロボロになっても投げようと決めました」
こんなカッコイイ男、ちょっといませんね。