「是非に及ばず」
織田信長の家臣、明智光秀が1582年、京都の本能寺に宿泊していた織田信長を襲った「本能寺の変」で、小姓の森蘭丸に信長が言った言葉です。
羽柴秀吉援護のために出陣した明智光秀が「敵は本能寺にあり」と宣言、引き連れていた兵1万のうち、約3000人だけを伴って明け方、本能寺を取り囲みます。
異変に気がついた信長公は小姓である森蘭丸に情報収集をさせると蘭丸は明智光秀の謀反の模様、と信長公に伝えた時、上記の言葉が出てきたわけですね。
この言葉、正式には「仕方がないこと」と解釈されていますが、信長公の言った意味は少し違うようです。
忠実な家臣であった明智光秀が謀反を起こすなどあり得ない、というのが一般的な見方ですが、信長公は、謀反を起こしたのが誰でも構わない、是でも非でも関係ない、今、すべきことは謀反に対抗することだ、と解釈するのが定説になりつつあります。
仕方がない、と、是や非を問うている場合ではない、ではかなり意味が違ってきますね。
名言というよりは、後世にとって迷言というべきでしょうか?
ちなみになぜ明智光秀が謀反をおこしたのか現在でも判明しておらず、また本能寺に火を放った織田信長本人の遺体も確認されていないままです。
言葉と同時に、今なお、謎を多く残しているのが「本能寺の変」です。