清濁併せ呑み、現実を見据えて中間層を取り込みながら自分の理念を推し進める田中角栄氏に対して、第66代内閣総理大臣を務めた三木武夫氏は政治浄化に執念を燃やした政治家でした。
1970年代の日本の政治舞台は戦国時代にも似て、三角大福(三木武夫、田中角栄、大平正芳、福田赳夫)による派閥争いは熾烈を極め、その象徴的な出来事が1972年の自民党総裁選です。
この4名で争われた総裁選で三木武夫氏は最下位となりましたが、田中角栄氏に日中国交正常化へ取り組むことを条件に支持、結果、決選投票で田中角栄氏が総裁の座についた経緯があります。
しかし田中角栄氏の金権政治に対しては激しく批判、田中政権の瓦解も三木武夫氏の大きな影響によるものです。
政治資金規正法改正、独禁法改正など、自民党の支持基盤を揺るがす改革にまで着手し、やがて自民党内部から三木おろしが始まりました。
その先鋒が田中派だったのです。
凄まじい裏舞台ですね。
「政治家は一般人と違い、大きな権力や国民が知ることのできない情報を持っている。それを利用して金儲けをしたのでは国民は額に汗して真面目に働く気を失う。そして国は滅びる」
議会の子、と言われた三木武夫氏らしい名言です。