戦場ではつねに最前線で戦っていた豊臣秀吉

「いつも前に出ることがよい、そして戦のときでも先駆けるのだ」

明智光秀が織田信長を討ったとの一報を聞いた羽柴秀吉は、備前高松城の戦いの場から約10日間、約200kmの行軍の後、山崎の戦いで明智光秀の軍を撃破しています。

この軍移動は「中国大返し」と呼ばれ、戦国史上屈指の大強行軍として有名ですね。

あまりに素早い行動から信長暗殺計画は羽柴秀吉が立案したのではないか、と言われたほどです。

冒頭の名言はのちに豊臣秀吉となった羽柴秀吉が発した言葉です。

豊臣秀吉は三大武将の中でもっとも優れた才覚を持った人物といえるでしょう。

実際、木下藤吉郎と名乗っていた時から戦場では誰よりも先駆け、不利な状況では殿(しんがり)を務めて武功を上げていました。

たとえば但馬国での戦いでは2万の兵を率いる大将となって10日間で18の城を落城させ、織田信長の撤退戦として有名な金ヶ崎の戦いでは織田信長を退却させるために殿軍として参戦、信長撤退を成功に導いています。

撤退戦における殿軍は先駆けと同じくもっとも危険な役割です。

若き頃の木下藤吉郎または羽柴秀吉は敢えて危険な役割を買って出たからこそ、信長の高い信頼を得たと言えるでしょう。

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