イソップ物語のアリとキリギリス、さてどのような寓意を感じたでしょうか?
なんだか小学校の授業みたいですね。
こういう時って必ず優等生的な発言をする小煩い学級委員長みたいのがいて、「キリギリスのように遊んでばかりいると、いつか報いが訪れて困ることになる」みたいなお手本の答えを言うのが定番ですが、この際、子供の頃に見た、聞いたアリとキリギリスから感じた寓意を正直に言っちゃいましょう。
せっかく太陽がキラキラと輝いて遊べる季節なのに、冬の心配をして遊ばない吝嗇家はたとえ理由はどうであれ飢餓寸前の困窮者が目の前にいても施しはけっして与えないものである、というのが寓意。
こんな見方があってもいいでしょう。
バイオリンを弾くという芸術的行為に生きる人はたとえ一夏でも輝けば太く短く生きた証となり、その心情はアリには永遠に分からない、という寓意。
こういう考え方も好きですね。
この寓意に相応しい結末というパターンもあり、それによると、アリから「夏の間、歌っていたんだから冬の間は踊ればいい」と言われた後、キリギリスは「歌うべき歌は歌い尽くしたから君たちは私の亡骸を食べて生き延びればいい」と言い返す結末。
ハードボイルドですね。
キリギリス1人のバイオリンで多くのアリが冬の間中、退屈することなく過ごせるのだからアリが食物を分けるのは当然であり、腕に職を持てば稼ぐのに困らないという寓意。
これがもっとも現代的、といえるのではないでしょうか?
寓話の教訓は無知に対する一方的な道徳観がしばしば見受けられます。
教訓を鵜呑みにして細部を見逃さないようにすることも、また寓話の大切な部分だと思いませんか?