人は誰でも、自分なりの正義の念は持っている。そして殆んどの人は、一般的な道徳観念を持っている。しかし、それがしばしば、道徳律からはずれるのは、内心の欲求が、その道徳律と相反したものであり、そして内心の欲求が道徳律を打ち負かすことによって起るのである。
だから人は、しばしば、いっていること(道律的)と、やった結果(欲求的)が全然違ったものとなってしまうのである。これらの人の言行不一致を責めることは、危険な行為である場合が非常に多い。それは、ツキを自分から遠ざける要因にもなるのだ。
たとえば、とかく会社の直属の上司というものは、部下を目一杯働かせたあげく、その功績は自分に、その失敗は部下のせいにしがちなものである。これらの人物に怒りをぶつけたりしてはならない。それは危険である。
また、怒りをこらえてもならない。赤ちょうちんなどで、酒を呑み、そのうさを晴らそうとしても無駄である。一番良いのは「それが人間の常である」と割り切り、心の中から解消してしまうことだ。
そして、次からは、そのような人のおだてにのらぬよう、しかし、地道な仕事への努力を積み重ねて行けば良いのである。怒りと憎しみを、長時間、心の中でくすぶらせていてはならない。
なぜなら、それは「陰の類」の感情にあるものだからだ。そして、この類の感情に自分がある限り、完全なる成功への道から、はずれてしまうことになるのである。