人から受けた恩義には鈍感で、恨みには敏感な人間がいる。こういう人間は衰運の運をたどることは明白だが、それと同時に、人生そのものが不幸感の連続になるものだ。
こういう人間は、特に他人に対し要求度が高く、しかも、他人のものは自分のもの式に考え、結局は人に嫌われてしまう。そして、常にその別れて行った他人に対して、悪口や不平を並べるのである。時には努力して、有力者のもとに、その庇護を受けることもある。
しかし、とかく専横のふるまいが多く、また自分の利益についてのみ考え、庇護者への協力については、とかく忘れがちとなる。目さきの欲に目がくらみ、結局は自分への助力者を興ざめさせ、その支持を失うに至る。
そうなったのも、ひとえに自分の言動の故であるのに、この種の人間は、自分の責任だとは決して考えない。そして、誰か、自分に悪意を抱く人間が、何かひそかに策動して、自分を落し入れたなどと邪推するのである。
こうして、この種の人間は、有力者から離れて行き、暗い運気を持った人間たちのグループの中へ入って行き、遂にそこから逃げ出すことが出来なくなる。このタイプの衰運から脱するのは、その理論は非常に簡単である。
それはつまり、「恩義に鈍感、恨みに敏感」であることから生じたのだから、これを変えて「恩義に敏感、恨みに鈍感」になるよう、自分の心を自分でコントロールすれは良い、ということになる。しかし、これは「いうは易く、行なうはがたし」の最たるものであることは間違いない。