大量のくず石の中から、ごく僅かのダイヤモンドが得られるように、アイデアというものの大半はくず石であり、その中で使えるダイヤは少量である。といって、くず石を掘ることを恐れていては決してこのダイヤに行きあたることはないことを思い知るべきである。
アイデアは質ではない。それは量で勝負すべきなのだ。文豪といわれる作家の作品群の中には、かなりの駄作があるものだ。しかし、その大量の駄作の中から、世人を魅了する名作は生れたのだ。
このように考えれば、アイデアは次々と量産されるべきことが重要であることは論を待たない。どのようなバカバカしい思いつきでも、それを一旦、紙に書きとめよ。案外にそれがヒントとなって良策に思い至るということがよくあるものなのだ。
それには、一人で考えるより複数の人による会話を用いる方法が、はるかに有効である。リラックスし、お茶でも飲みながら、問題について考え、討議してみるのだ。
一人が思いついたことは、どんなつまらぬヒントでも、必ずそれはメモされなければならない。アイデアの山をより分けて、使えそうなものを探し出すと、通常それは一割ぐらいとなる。
つまり、百のアイデアが出れば、使えそうなものは約十である。さらに、試行錯誤を重ねて行くと、天来の妙計というものは、一つか二つにしぼられる。しかし、これがのちのダイヤモンドとなるものなのだ。