「人間は感情の動物である」この古い格言について、人々はそれと知っていても、この言葉の持つ意味の重大性には、あまり注意を払わないようである。ということは、人間は何かの意志決定をする際には、理路整然と説かれた内容より、自分の感情の動き、つまり情動によって左右されやすいということである。すなわち、人心は感動によって動かされるものなのだ。
ところが、これも多くの人の間違えるところだが、この感動とは、常に人類愛的なもの、まごころを示すものとは限らないのである。感動とは文字通りに訳せば、感情が動かされることである。ところで、この感情の動きには、快なるものと不快なるものの二者がある。
簡単にいおう。人はアメまたはムチの両者でいうことをきくものだ。報酬をはずむか、クビにするぞとおどすか、そのどちらかの方法でも、ある程度、人は動く。しかし、これはいうまでもないことだが、ムチをもっぱら用いる経営者からは、人心は離れがちである。だから、こういう経営者は一旦矢脚したとなると、社会から手ひどい目にあわされがちである。
だが、また、アメばかりを与える経営者も、部下に足元を見すかされ、さぼられがちとなる。アメは物質であり、ムチは恐怖である。この二者以外に、相手を感動させる方法があるだろうか?ある。それは、相手の力量を認め、それを尊重し、彼の自己重要感を高めてやることだ。
「士はおのれを知るもののために死す」という。人は自分の価値を認めてくれる者のためには死んでもかまわないと思うぐらい、名誉心の強いものなのである。