声とツキは多いに関係がある。声から受ける印象に、人は意外に敏感なものである。ただし、敏感ではあるが、普通それと意識されないで、その印象が伝えられることが多い。すなわち、その人にとっての好ましい声とそうでない声は、無意識的に選択されるのである。
そして、それは目から受ける印象その他と総合されて、その人の印象は形成される。だから、声の与える印象の力というものは顔の表情が与えるそれと比べて、優るとも劣らないほど強いものがあるのだ。
顔に表情というものがあり、それを自らコントロールして、そこから「寒気」を取り去ることの重要なことについては、すでに前に述べた。声についても同様である。生れつきの声の質はある程度宿命的なもので仕方のないところだが、それでも、それは歌の発声練習などで、いくらかでも改善されよう。しかし、それより大切なのは、顔の場合と同じく、声という土台そのものより、声の現わす表情である。
声というものは、感情のあり方をよく反映するものだ。たとえば、常に他人の非をとがめる気分にある人の声の相は、とがり声になり、陰うつな感じを与えるようになり、やがてそれは習い性となり、その人の一部となってしまう。
故に、声をととのえるとは、自らの感情をととのえるという意味でもある。自らの感情を、つとめて明るく希望的な気分の内におくべきである。こうすれば、声も明るくなり、人々に希望と喜びを与えるようになる。かくて、ツキがこの人に訪ずれてくることは最早明白であろう。