「宝島」「ジキルとハイド」などで有名なロバート・スティーヴンスの言葉に、「幸福であろうとする義務ほど、われわれが過小評価している義務はない」がある。多くの人々は「幸福とは、心の持ち方の問題」という。
では、その心の持ち方は、具体的にいって、どのように持てばよいのか、というと、あまり明確に述べられる人は少ない。
せいぜい、「足りることをしること」「あまり欲をかかないこと」「毎日、感謝の生活をすること」という、仏教古来の諦観について述べるくらいである。
考えてみれば容易に解ることであるが、諦観つまり「あきらめ」ばかりでは、この世における物質的成功が得られるものではないのだ。「幸福とは、あきらめと同義語である」というなら話は別であるが、公平に考えてみれば、貧乏のどん底や病気の真只中にあっても、幸福であることは出来るといって、理論では解っても、その実践は困難であろう。
では、その心の持ち方とは、どのようにしたら良いのだろうか?これには、不幸な人の不幸な心の状態を見てみれば解ることだ。不幸な人は「過去を後悔し、未来を心配し、現在に不平をいっている」そして、苦しみを自ら作り出し、その中にひたっているのである。だから、幸福になるためには、その反対を思えはよいのだ。
すなわち「過去の失敗体験を思い出さず、成功体験を思い出して良い気分になり」「未来には大きな願望を抱き、その夢に酔い」「現在については、まだ得られていないものを数えず、すでに得られたものを数え、それを喜び、間断なく感謝しつづける」。このように自分の心をコントロールするならば、いずれなどではなく、その瞬間から、あなたは幸福になれる。