成功のイメージを絶えず脳裏にえがいていると、その思念は潜在意識下に深く沈み、たくわえられて行く。これを仏教哲学ではアラヤ識と呼んでいる。
人間のおこなった行動の記録は「業」というものになって、アラヤ識に貯えられ、やがてそれは未来において、何らかの体験をするための原因となるのであるが、これと同様に強い思念もアラヤ識に入り、業となるのである。結局のところ、ツキというものも、この業のなせるわざの一つなのだ。
しかし、業には、その人に益をもたらすものと、害をもたらすものの二つがある。そしてそれは思念が良きことであるか(成功)または悪しきこと(失敗)であるかの違いによって、益か害かに分かれて行くのである。