問題をかかえている人間こそ、強力に生きる

生きているかぎり、人間は必ず解決しなければならない問題に直面する。「天は雨を雑草の上にも、稲の上にも降らす。天に人心なし」と二宮尊徳はいった。この雑草を除き、稲が育つのに手を貸すのが人道である、という。

つまり、人生においては、除かねばならぬ雑草すなわち問題が、次から次へと生じてくるものなのだ。成功者はエネルギッシュに、その問題に取り組んで行く。そして、失敗者は「なぜ雨は雑草の上に降るのだろう」と天を恨めしく思うのである。

人間で問題を抱いていない者は居ない。もしあるとすれば、それは墓場に眠っている死者だけである。死人は問題を一つもかかえていない。これはつまり、問題をかかえていることが、生きていることの証しだともいえよう。

とすれば、より多くの問題をかかえている者は、より強力に生きている人間であるという考えもできるのではないか?問題に対し、その対応策をさまざまにめぐらし、その解決をはかるということは、その問題について悩んでいるということとは異なるのである。

私たちは、問題だらけの自分の人生について、不平をいったり、愚痴をたれたりしてはならない。もしそのようにして、陰気を自分の身の上において表現するならは、ツキはただちに自分の身から逃げて行ってしまうからである。

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