運を興すものは、自分の内に燃え上がる欲望の火である。
すべての事が成るためには、この欲望の火こそ、その原点であり、この火なくしては何によらず成功はあり得ない。
故に、心の内に、常に願い求める情熱の火をかき立て続けることが大切である。
ところが、世間の人々、周囲の隣人、友人たちは、善意からであるにしろ、それにとかく水を差すのである。
宗教家は欲望の悪をいい、清浄な無欲の境地をたたえる。
友人たちは、謙虚であれとすすめる。
こうして、欲望の火は、その勢いが衰え、その人は消極的な人生を歩むことになってしまう。
人生は燃えて生きるべきである。
そして、その燃えるとは欲望そのものが燃料になるのだ。
問題なのは、燃料そのものが悪なのではなく、時に人は、その欲望達成の手段において、悪となってしまうことがあるということなのだ。