前述したドイツやイタリアの猫に関する不吉な迷信、じつは日本各地にも残っているのです。
猫が死人のそばに寄ると死人が立ち上がったり踊り出したり、という迷信は徳島や広島、津軽地方など全国的にあり、死人に猫が魂を入れるという迷信は秋田や栃木、磐城地方に多く伝わっています。
猫と死人が迷信になったのは江戸時代移行のこと。
ただし、猫が妖怪に化ける猫又伝説は平安時代からあるので、猫又伝説が迷信の元になっていることは容易に想像できます。
嘉永3年というから1850年、すでに江戸時代も後期に入った頃、二代目十返舎一九は草双紙に「黄菊花都路(こがねのきくはなのみやこじ)」に、通夜の晩、風もないのに蝋燭の炎が消え、突然仏の声が聞こえたかと思うと棺桶の上に三毛猫が姿を表し、棺桶に乗った瞬間、タガが外れて棺桶が割れ、仏が踊り出した、という怪談を発表しました。
草双紙は今でいう絵本みたいなもので、子供から大人まで楽しめる娯楽紙だったことから、このエピソードが語り継がれ、死人と猫の迷信につながったのでしょう。
猫は夜行性で、しかも昔は現代のように明るくなかっただけに、夜の猫は不気味に見えたことも関連していると思われます。