なぜ、ひとつの銀行が宝くじの業務委託を独占するようになったのかというと、第二次大戦最中の昭和20年(1945年)7月まで遡って調べる必要があります。
日本は敗戦にまっしぐらでしたが、それでも軍部は諦めずに民間の浮動購買力を軍事費に充てるため、1等10万円が当たる富くじ「勝札」を1枚10円で販売しました。
南方では幾万の兵士が戦死しているというのに、案外と呑気なことをしていたんですね、日本の軍部は。
これって意外と語られていない事実です。
で、ご存じのように8月15日に全面降伏したことで抽せん日を待たずに終戦となったため、「負札」と呼ばれるようになりました(ちなみに抽せんは8月25日に実施されています)。
この「勝札」ならぬ「負札」の販売で委託業務を受けていたのが日本で初めての商業銀行だった株式会社第一国立銀行、第一銀行を前身とする帝国銀行。
戦後になると激しいインフラを防止するためと浮動購買力吸収の必要性がさらに高まったため、1945年10月に「政府第一回宝籤」が発売され、以後、地方の震災復興資金調達を図るために地方自治体による宝くじが次々と販売されていきます。
帝国銀行は昭和23年(1948年)に再び第一銀行に戻り、帝国銀行から営業譲渡を受けたことで、それらの宝くじ業務を一手に担いました。
その後、第一銀行は昭和46年に日本勧業銀行と合併し、第一勧業銀行に名称変更しています。
つまり終戦に行われた富くじの慣例が今でも継続されているわけですね。