時代はもう一度さかのぼって江戸時代。
射幸性のある富籤(とみくじ)、お上が仕切って寺院の資金源になるのは納得のいかない話、と考えるのはいつの時代でも怖い関係の人たちの共通点。
かくして江戸の強面連中は非合法としながらも私立の富籤(とみくじ)を行うようになり、これが庶民にとっての娯楽となって「陰富(かげとみ)(かげとみ)」と呼ばれるようになりました。
この背景には強面連中が資金源として庶民の小銭を巻き上げる博打というだけでなく、公式の富籤(とみくじ)購入金額が高価(一時は33,000円相当)であったことが挙げられます。
陰富(かげとみ)の購入金額は1文。
現在の金額にすると約12円で、当せんすると8倍の8文にして換金したといいます。
確かに庶民の賭博としては可愛いものですね。
もっとも、射幸心をさらにあおる賭博には丁半博打がありましたが(もちろん丁半博打も非合法で、その摘発を逃れるために寺院で開帳していました)。
陰富(かげとみ)は庶民の賭博として広がりましたが、射幸心は当然、武士にもあります。
しかもこの時代の武士は戦場に赴くわけではなく城内にお勤めするサラリーマンのような存在でしたから、瞬く間に陰富(かげとみ)が広がり、ついには御三家のひとつ水戸家も陰富(かげとみ)の勧進元になったという記録が残っています。
水戸黄門がこの事実を知ったら墓の中でなんと嘆いたことでしょうか?