老中、水野忠邦が実施した天保の改革は風俗粛清もあって庶民には不評、失脚した後は暴徒化した庶民に自宅を襲撃されるなど悲惨な目に遭っていますが、ひとつ褒められることがあるとすれば旗本であり南町奉行を努めた遠山景元を側近に置いて改革に着手させたことでしょう。
水野忠邦はとにかく風俗粛清でしたが遠山景元は庶民の楽しみまで奪うことを良しとせず、庶民の味方になって敵対する旗本の鳥居耀蔵の政策をことごとく無視して奉行を努めました。
もちろん庶民からの人気は絶大、これが「遠山の金さん」の始まりです。
遠山の金さんはともかくとして、富籤(とみくじ)は天保の改革によって差し止めとなり、明治時代に入っても太政官布告(だじょうかんふこく:当時の最高官庁である太政官によって交付された法令)で富籤(とみくじ)は禁止され続けました。
富籤(とみくじ)が復活するのは明治12年(1937年)の日中戦争のために日本国内の資金を使う目的で成立した臨時資金調達法からです。
この時、すでに富籤(とみくじ)という言葉は使われておらず、「福券」や「勝札」という言葉が使われていました。
現在は1948年に戦後復興を目的として成立した当せん金付証票法に基づいて宝くじが販売されています。
ちなみに第1回東京都復興宝くじの1等は1,000円、2等は100円、3等は10円でした。