公共事業の資金を目的として発行する宝くじ。
これ、現代に始まったことではなく、宝くじの歴史を紐解けば最初から行われていたことが分かります。
宝くじの起源となったのは大阪府箕面市にある箕面山龍安寺で鎌倉時代に行われた「箕面富(みのおのとみ)」と言われています。
当たりの書かれた木札とハズレの木札を木製の富箱の中に入れ、住職が富箱にある小さな穴にキリを差し込んで当せんを決めるといった内容で、その賞品は金銭ではなく弁財天のお守り「本尊弁財天御守」だったそうです。
現在、箕面山龍安寺では2009年から毎年10月10日に、古式に則って箕面富を行っているので興味がある人はぜひ訪れてみてください。
お守りが貰えるというのはいかにも仏閣らしい行事ですが、信心深くない市井の人々にとって当せんがお守りでは射幸心が満足できるはずもなく、やがて民間の間で賭博的要素を含んだ富籤(とみくじ)が行われるようになりました。
賭博が非合法であるのは今も昔も変わりありません(民間が勝手に民間の金を巻き上げてしまうと国家が困窮するからであり、国家が賭博を仕切る分には問題ないわけです)。
江戸も元禄時代になると富籤(とみくじ)が盛んに行われるようになったため、幕府は町触(まちぶれ:江戸の町人に対する法令)で富籤(とみくじ)の禁止を伝えています。
禁止したはずの富籤(とみくじ)がなぜ復活したかというと、それは次項で説明しますね。