このように正体はよくわからないが、それでも、ケサランは幸運のシンボルとされてきたもの。もし、どこかでそれを見つけたなら、ぜひとも捕まえたい。そして、できることなら桐の箱の中に収め、長いこと大切に保管したい。
おっと、そのときに白粉を振りかけておくことをお忘れなく。うまくいけば、数年の後には、それが大きく成長していたり、子供ケサランが幾つも出来上がっているのを観察できるかもしれない。その数に応じて、幸せも多く舞いこんでくるのだ。
仮に、あなたがどこかで、ケサランらしきものを発見した場合のことを考えてみよう。たとえば、山道を歩いているとき、道端をコロコロと転がっているのを目にするかもしれない。あるいは、ビルの屋上でのんびりしているときに、空からフワフワと舞い降りてくるのを目撃するかもしれない。そのとき、あなたならどうするであろう?
ケサランを「幸せの象徴」と知るなら、幸せを求める一個人として、それを捕まえようとすることだろう。それは「必ずや幸運を手にしてやる」ということの意思表明ともなるのだ。
ところで、前にも述べたように、ケサランにもいろいろと種類がある(というか、そのように便宜上の分類がなされている)。その中には、狸や犬の毛が抜け落ちて丸まったように見えるもの、また鳥の羽毛のように見えるもの、さらには植物の綿毛と瓜二つのものなどが分類されている。
では、どうすれば、本物のケサランと見分けられるのか?実はこれに答えるのは、かなり難しいことだと言わざるをえない。だいいち、本物とされているものの大概は、それを保管している持ち主の主観でいう「本物」であって、それには生物学的な根拠も定義もないのである。
しかし、そんな野暮ったいことを延々と述べるのは本書の趣旨とするところではない。いわば、ケサランというのは、その持ち主の思い入れにより魂を吹き込まれ、本物にもなるのだ。と言っておこう。ちなみに、ここでいう本物というのは、「幸運のシンボル」としてのケサランのことを指している。
そして、伝説どおりのケサランであれば、それを見つけた場合、強く魅かれるものを感じることだろう。なにがなんでも捕まえたい、心底そう思えてくるのだ。(すなわち、「それが伝説のケサランであるなら、心から強く魅かれるものがあるはず。それをもって本物と知るべし」ということだ。)
そして、そう思えたら、なんとしても捕獲すること。全てはそこから始まる。運よく捕まえることができたら、箱かビンの中に入れて持ちかえる。無事に帰宅した後は、やはり伝統にのっとって、できることならフタ付きの桐の箱の中に入れておくのがよいだろう。
そして、上から白粉を振りかけて、フタを閉めておく。不用意に何度もフタを開けていると、その弾みに、軽い羽毛状のケサランの場合は宙に舞い上がって飛んでいってしまうかもしれないからご用心。それは「幸せ」を逃がすようなものだ。
つまり、「発見」「捕獲」「保管」という、この3つの過程がスムーズにいくかどうか、その良し悪しでも、あなたの運が試されているといえよう。とくに、最初の「発見」の段階は、偶然性の要素(つまり運の要素)が高いため、ここがもっとも肝心なところともなる。
さて、ケサランの餌(?)である白粉にも、いろいろと種類があるのだが、ケサランの好物としては昔のものほどよいという。だから、安くて粗雑なものほどよいことになる。また、白粉は半年に一度くらいの割りあいで、上からパラパラと振りかけるように与えていれば十分とのこと。(2、3年に一度くらいでもよいという意見もある)
ともかく、こうしてケサランの箱を保管し続ける。その間も、箱の中でケサランは、その持ち主(飼い主)に幸運を招き込もうとしているのだ(と、信じる気持ちが何よりも大事)。
そして、数年後のいつの日か桐の箱を開けてみると、そこに大きく成長したケサランと子供ケサランが数体仲良く(?)並んでいるのを発見することに・・・。ということにもなれば、そのときになって、はじめて「これは本物のケサランパサランだったんだ!」とわかるというわけである。
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