現代に残る江戸時代の駄洒落、お次はドラ息子です。
怠惰で道楽好き、放蕩を続ける息子のことですが、これは金を使い果たす、つまり「金を尽く」を「鐘を突く」に引っ掛けて用いられるようになった言葉です。
江戸時代の遊郭、吉原では軒先に銅鑼をぶら下げておき、客が入ると景気づけで銅鑼をじゃんじゃんと鳴らしていました。
もちろんお寺には釣り鐘もありましたが、やはり放蕩息子には吉原の銅鑼の方がぴったりくることから「ドラ息子」になったわけです。
無実の罪を押し付けられる時「濡れ衣を着せられる」と言いますが、これも江戸時代の駄洒落、ダブルミーニングからきています。
無実、つまり「実の無い」が「蓑ない」に引っ掛けられ、蓑がないと雨で衣が濡れることから、謂れのないことの嫌疑がかけられた時に用いられるようになりました。
他にも酒飲みを「左党」というのは大工や石工から生まれた駄洒落で、木や石を削るノミを左手に持っていたことから左手を「ノミ手」と呼び、これが「飲み手」に変わって左党になりました。
これらの駄洒落やダブルミーニング、当時は「地口(じぐち)」と呼ばれ、誰でも知っていることを素直に口に出しては粋ではない、ということから流行りました。
関西では駄洒落を言うとドン引きされますが、関東では立派な言葉の文化だったのです。